この記事を動画でご覧になりたい方はこちら↓↓↓

パリでも人気の熊野筆メイクブラシ

モデルの仕事で毎回プロのメイクアップアーティストさんからメイクを施していただく中で、ずっと注目していたのがメイク道具。どんな道具でタッチアップするかでメイクの仕上がりに差が出るなと肌で感じてきました。

そしてずっとメイク道具を新調したいな、せっかくなら日本の伝統品である「熊野筆」を自分で選んでみたいと思うように。

そんな中で出会えた、SUI TOKYO 代表の有賀友美さん。彼女が素晴らしい熊野筆のブランドを立ち上げた様子を随所で拝見していました。

彼女のお祖母様の、書道筆への想いをSUIというブランドに継いでいらっしゃるというエピソードも魅力的で、是非取材させていただきたいと申し入れ特別にお答えいただけました!

始まりは書道筆から

・1882年(明治15年)に創業された筆匠洲崎から生まれた熊野筆メイクブラシのブランド

・筆匠洲崎は最高級品質の伝統的な書道筆を作っている企業であり、今年で創業139年

・代表の有賀さんのお祖母様に当たる三代目洲崎静江氏の「筆匠洲崎の書道筆をメイク筆に変えたい」という夢を形にすべく、2018年にSUI TOKYOを立ち上げた

・ブランド名の「SUI」は筆匠洲崎・先代の奥様のお名前であり、彼女は戦後の日本において、書道という伝統文化を無くさないよう書道教育に力を注いだ人物であった

・筆匠洲崎が創り出す日本の伝統筆に、先代が守り続けてきた「女性らしさ・優しさ・癒し」をイメージし最高級品質の熊野筆を送り出している

熊野筆に関して

・広島県安芸郡熊野町で生産されている筆のこと。穂首を熊野町内で製作されたもののみが熊野筆と名乗ることができる。

・習字に使う書筆、画筆、化粧筆とその品質は国内外で高く評価されている

・1975年、広島県で初めて国の伝統的工芸品に指定される

・ヤギやウマ、シカ、タヌキ、イタチ、ネコなどの獣毛を原料としている

・一本の熊野筆が完成するまでには70以上の工程が必要であり、そのほとんどが手作業で行われる

・江戸時代後期に始まり、明治5年に発展

・第二次世界大戦後、習字教育の抑制により書道筆の生産量が減ったが、昭和30年頃からそれまでの技術を活かし、画筆や化粧筆の生産が盛んに

・現在は国内産筆の生産量の80%を占めるほどに発展している

SUI TOKYO代表の有賀友美さんにインタビュー

mai(以下m): SUI TOKYOさんの筆の特徴は何でしょうか?

有賀さん(以下a)「書道筆から始まったという歴史を表現したかったので、軸を長めにしています。筆においては軸が長いとバランスが取りやすくて描きやすいという利点があるのと、プロの方にも使っていただけるように、この長さになりました。」

m: 使われている毛に関してもこだわりがありますか?

a: 「亡くなってしまった動物の毛をしっかり供養してから、有り難くメイクブラシとして生まれ変わらせていただいています。」

m: 新たな息吹をという点が日本の考え方らしく素敵です。筆一本一本に日本を代表するお花の名前が入っていたり、ブラシのみならずパッケージのデザインも細部に渡ってこだわりを感じます。

a:「ありがとうございます。一般的に熊野筆のメイクブラシというと、黒色・朱色というような色合いのものが多い中で、シンプルでエレガントな熊野筆、洗面台に置いたときにおしゃれになるようなブラシにしたいと考え、軸は白、金具はゴールドにしました。
また母からブラシにお花の名前を付けることを提案され、きっと海外で販売した時に喜ばれるだろうなと思い付けることにしました。」

m: では、ブランドの立ち上げから海外で販売することを意識されていたのですね?

a: 「そうですね。日本に熊野筆のメイクブラシのブランドはとても多かったので、たくさんある中で始めるのは難しいかなと感じていて、もしかしたら海外からだったら出来るのではと思いました。」

m: ちなみに、なぜパリの地を選んだのでしょうか?

a:「パリはファッションウィークが年に4回もあり、世界一のファッションウィークといえばパリ。そのような背景から世界一のメイクアップアーティストが集まる地であると考えました。プロの皆さんは熊野筆を愛用している方が多いので、需要があるかなと思いました。」

m: シンプルな理論ですがお一人で異国の地で実行されていて、その行動力に感銘を受けます。今後のご展開はどのようにお考えでしょうか?

a: 「ありがとうございます。現在はパリのボンマルシェにてポップアップストアを行っていて(8月一杯まで)、今後も各国で開催し、海外で販路を増やしていけたらいいなと思います。日本に帰れるタイミングがあれば是非ポップアップをできたらいいなと思います。」

m: ブランド立ち上げの背景教えて下さい

a: 「昔からメイクが大好きで、美容のことを勉強したいなと思い、25歳の時にニューヨークのメイク学校とFIT(ファッション工科大学)で色彩学を勉強しました。2年ほど経って帰国した際、祖母が化粧筆を作りたいという夢があることを聞き、ブランドを始めましょうとなりました。」

m: どのように進んでいったのでしょうか?

a: 「ニューヨークで勉強していた際、使用していて良いと感じたブラシからインスピレーションを受けて、製作に当たりました。ただ、毛質に関してなどはプロではなかったので、筆匠洲崎を運営している叔父に色々と教えていただきました。」

m: ご家族(ご親戚)のサポートも心強いですね。

a: 「そうですね。また、ニューヨークで知り合った世界で活躍されているメイクアップアーティストであり僧侶の西村宏堂さんにメイクブラシの形など多くのアイデアをいただきました。銀座のTOKYU PLAZAでのポップアップの時もずっと手伝ってくださったのですが、とても面白いエピソードがあって、、!」

m: とても気になります!

a: 「ご購入してくださったお客様にメイクを施してくださったのですが、宏堂さんの癒やしの力なのか、メイクされた方々は皆泣いちゃうんですよ!」

m: きっと施されながら浄化されるんでしょうね!私もしていただきたいなぁ・・!

a:「まさしくそうですね!私もポップアップが無事終わった日のバックヤードで宏堂さんを見るなり、明るい後光が見えて思わず泣いてしまいました、、笑」

a: 本当に不思議なお力ですね。とても心温まるエピソードをありがとうございます!お話は戻りますが、ご家族(ご親戚)の絆がとても強いのだなと感じます。ブランドはお祖母様の夢だったとのことで、きっと喜ばれているのでしょうね。

a: 「そうですね。祖母が一番喜んでいますね。」

a: ご親戚といえばひいお祖母様のスイさんに関してですが、戦後に日本文化排除の動きも一部あった中で、書道協会のために立ち上がり全国を回ったというご活動に心から感動しました。

a: 「ありがとうございます。ひいお祖母様は日本の書道協会に責任を持っていて、筆を配給していた配給元だった時もあり、政治家や書道家さんたちと一緒に書道を残す運動を一生懸命されたとのことです。とにかく日本から素晴らしい文化を残そうと書道教育に力を入れたと聞いています。」

m: スイさんのご活躍があったからこそ、今私達も書道という文化に触れることができるのだなと思うと、本当に感謝でいっぱいです。
最後になりましたが、スイさんを始め誇りに思われる素敵な日本人女性像が身近にいらっしゃると思いますが、有賀さんのこれからのなりたい女性像や目指す生き方などをお伺いできたら嬉しいです。

a: 「ありがとうございます。スイさんが日本の書道を守ったように、いつか誰かを助けるような存在になれたらいいなと思います。」

m: 素晴らしいお話を今回は本当にありがとうございました!

〜インタビュー後記〜
有賀さんとお仕事のお話をするのは実は初めてでした。
お話を伺うとスイさんのようにとても真っ直ぐで芯があり、ポジティブで、外見のみならず内面も美しいお方でした。
コロナ渦という状況下のため、1年半ほど日本に帰国していないとのこと。そんな中でもボンマルシェにて4度目になるポップアップのご展開など、前向きでまっすぐな姿勢に同世代ながらとても学ぶことが多かったです。
スイさんのご活躍があったからこそ、現代の私達は「書道」という素晴らしい文化に触れているのだなと、改めて有り難いことなのだと感じます。そんなひいお祖母様のスピリットやお祖母様の想いを繋いでいらっしゃる点に、同じ日本人としてお一人の女性として心より応援したいと感じました。

お品の詳細

パウダーブラシ MOMO ¥15,000(税込)

アイブロウブラシ SUZURAN ¥5,000(税込)

SUI TOKYOさんのオンラインサイトにてご購入いただけます。
なお、10000円以上お買い物だと送料が無料になります。

希望すれば追加料金で名入れも出来るので、是非女性へのプレゼントなどにも良いのではないでしょうか。筆のみならず、パッケージのデザインもエレガントなので、贈り物にもってこいだと思います。

https://www.suitokyo.com

お品にゆかりのある神社

和歌山県にある「熊野本宮大社」さんです。

広島の熊野筆にご縁があったということで、SUI TOKYOさんのブラシを熊野本宮大社さんにお持ちし、神聖なお力を入れていただいたということをお伺いしました。

創建は社伝によると崇神天皇の時代というから紀元前。
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中心であり、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮です。

主祭神は素戔嗚命(スサノオノミコト)ですが、古代より神仏習合のお社であり、素戔嗚命=阿弥陀如来として拝められています。

鎌倉〜安土桃山時代頃には「蟻の熊野詣」といわれ、多くの人々が熊野へお参りしたとのこと。
熊野三山に繋がる道を「熊野古道」とし、皇族から庶民まで身分に関わらず幅広い人たちがお参りしたとても神聖な地です。

私も近い将来家族で古道を歩き、しっかりと三山に参拝に伺いたいなと思っております。
最後までお読みいただきありがとうございました。

mai